不動講経文えいかわさん集(解釈・訳付き)

(この作品は御座爪切不動尊が所蔵する文献です。但し○印の付いた部分のみが原文としてあるのですが、漢語や梵語そのままに詠われているものについては、現代の日本人にわかりやすい文にし直したものを付け加えて、本ページにUPしました。内容的には、「御座の古謡」の場合同様、全国各地で詠われているものの中でこれまでの御座人たちが好んで選んだ歌といった観があります。)



○懺悔文 (三返)
我昔所造諸悪業
皆由無始貪瞋癡
従身口意之所生
一切我今皆懺悔

(読み下し文)
我昔より造りし所の諸悪業は、皆、無始の貪瞋癡に由る。
身口意の生ずる所、一切を、我、今、皆、懺悔す。

(意訳)
 わたしが昔より造ってきましたもろもろの悪業は、皆、限りなく遠い過去からの欲どしさ・怒りっぽさ・愚かさにあります。私の体・口・心から出ております一切を、わたしは今、そのすべてを懺悔いたします。


○開経偈 (三返)
無上甚深微妙法
百千萬劫難遭遇
我今見聞得受持
願解如来眞實義

(読み下し文)
 無上甚深微妙の法は、百千萬劫にも遭い遇うこと難し。
 我、今、見聞し受持することを得たり。願くば如来の眞實義を解さんことを。

(意訳)
 この上もなく深遠で微妙の法は、百千万劫の年月があっても遭い遇うことは難しいのです。
 私は今、そのことを見たり聞いたりして、その教えを受けて守ることが出来ました。願うならば、如来の真実や道理が理解できますように。


○焼香供養
願我眞淨如香炉
願我心如智慧火
念々梵焼戒定香
供養十方三世佛

(読み下し文)
願わくば我が眞浄を香炉の如くにせんと、
 願わくば我が心を智慧の火の如くにせんと、
 念々、戒定香を梵焼し、
 十方三世の佛を供養す。
 
(意訳)
 願いますれば、私のまことやきよらかさを香炉のようにして頂き ますように
願いますれば、私の心を智慧の火のようにして頂きますように、
 このきわめて短い時間にも、戒律守り、心を安定するための香を 焚いて、どの場所やどの方角、又、過去や現在や未来におわす御 仏を供養いたします。


○日本中のとなえ
勿体なくも納め奉るは、
このところの御本尊、大師、大神宮、鎮守、総じて日本大小の神祇、
今上皇帝、宝祚延命、
国体強固、万民和楽、現世安穏、
父母師長、六親眷属、ないし法界平等利益。


(意訳)
畏れ多いことですが、私たちが納め奉り念じていたしておりますのは、ここにおわしますところの御本尊、お大師さま、伊勢の大神宮、土地のお社、総じて日本大小の神がみです。今上陛下や皇位の方々の末永からんことです。国体の強固、万民の和楽、現世の安穏です。又、父母や先生や目上の方に、すべての親族に、ないしは仏の道を信じる社会に等しくご利益がありますようにです。

参考(戦前に使われた文言)
奉納此所の御本尊大師大神宮鎮守総じて日本大小の神祇天子将軍国主々君父母師長六親眷属乃至法界平等利益


○三歸戒
弟子某甲 盡未来際
南無帰依佛、南無帰依法、南無帰依僧、
帰依佛無上尊、帰依法離欲尊、帰依僧和合尊、
帰依佛竟、帰依法竟、帰依僧竟。

(読み下し文)
弟子某甲 未来の際 盡くるまで
南無佛に帰依し、南無法に帰依し、南無僧に帰依す。
佛の無上尊に帰依し、法の離欲尊に帰依し、僧の和合尊に帰依す。
佛に帰依し竟、法に帰依し竟、僧に帰依し竟り。

(意訳)
弟子である私は未来の果てが尽きるまで永遠に
(決意の言葉)最高の人格である佛に帰依し、真理そのものである法に帰依し、その道を求める僧に帰依します。
(具体的に)ならびなき無上の佛に帰依し、欲離れた清浄の教えに帰依し、和合して生きる僧に帰依します。
(確認の言葉)私は確かに佛に帰依し終え、法に帰依し終え、僧に帰依し終えています。


○光明真言
もったいなくも、光明真言を唱え奉る。
おん、あぼきゃ、べいろしゃのう、まかぼだら、
まに、はんどま、じんばら、はらばりたや、うん。
(梵語で二十三文字)

(意訳−品川寺住職・仲田順和の解釈参考)
畏れ多いことですが、大日如来、阿弥陀如来ほか一切の菩薩の真言を唱え奉ります。
「おん」の一字を念ずれば、過去・現在・未来に生きるこの命に、香華・灯明・飲食(おんじき)の供養の徳が満ちあふれます。
「あぼきゃ」と念ずる功徳には、諸々の仏や菩薩共々に、人の願いを噛みしめて、人々もろてでお救いするのです。 
「べいろしゃのう」と念ずれば、念ずる我らがそのままに大日如来の身となって衆生済度のお願いするのです。
「まかぽだら」のその願いは生仏不二が認められ一切衆生皆共に悟りの道へとお導き頂けるのです。
「まに」の宝珠のその徳は、現在・未来生きるとき、福徳寿命意のままに不滅の命の身となります。
「はんどま」と祈るその人は、いかなる罪も消滅し、清浄心に包まれて心が晴れ晴れとなって生きるようになります。
「じんばら」と念ずるその徳は、闇の向うに光があって、数多のわれわれを摂取してよりよき未来へとお導きになります。
「はらばりたや」を念ずれば、種々の願いが叶えられ、仏もわれらも隔てなく、正しい思いが備わります。
「うん」の一字の功徳には、罪の絆は消え去って、身から作った暗い世も明るい社会となります。
亡き人々に真言を唱え念じて回向するならば、苦しみ歎く人々も悟り開くと聞きたまう真言醍醐のその教え、他に類のない実りによって、数多の徳を備えるようになるのです。
       説いても尽きないこの教えは、
                   南無大師遍照金剛
                   南無大師遍照金剛
                   南無大師遍照金剛


○十三佛
勿体なくも、十三佛じさまを、唱え奉る。
不動、釈迦、文殊、普賢、地蔵、弥勒、薬師、観音、
勢至、阿弥陀、阿?、大日、虚空蔵、大菩薩。

(意訳−インターネット ウィキソースより)
畏れ多いことですが、十三仏の大菩薩さまを唱え奉ります。
不動明王尊は初七日を司り、行者守護、悪魔退散、除災招福をいたします。亡くなった亡き人自体、遠い冥界へ旅立つ覚悟もまだ不十分ですし、残された者もその人の死を認められず、現世への未練が残っている時期です。死後の世界へと旅立たなければならない者が、再び現世に未練を持たないように不動明王尊の持つ右手の剣で迷いを切り払い、左手の縄は迷いの信者を縛って救いとり、 冥界へと引き込む役目をして下さいます。
釈迦如来は二七日を司り、仏智悟入いたします。
実在の人物であり、その大いなる力は、全ての人々を救うための仏として存在しています。 そのために葬儀のときにあわてて戒律を授けなければならぬ者、修行をしていない者に冥界への旅立ちに際して、仏教の祖である釈迦如来が祖の本来の教えを説いて下さるのです。
文殊菩薩は三七日を司り、智恵さずけ、天変地異の降状をいたします。
文殊菩薩は知恵の仏さまであり、釈迦が前世で子供時代に教えを受けた仏だと言われます。 また、釈迦如来を中心とし両脇侍に、文殊菩薩、普賢菩薩としてこれを"釈迦三尊仏"といい、この釈迦三尊仏が二七日から三七日を経て四七日迄の間に、 仏教徒として身につけるべきことを教え込んで下さるのです。
普賢菩薩は四七日を司り、仏智悟入、滅罪、大根清浄をいたします。
普賢菩薩は慈悲門を司る、すなわち情を担当する仏さまで女性的なやさしい表情をしています。 たくさんの功徳を備えていて、私たちの煩悩を打ち砕き悟りの世界へと導いて下さるのです。
地蔵菩薩は-五七日を司り、滅罪、先亡成仏、無仏時代の守護をいたします。
釈迦の入滅後から弥勒菩薩が現れるまでの間、人々を救うための救世主です。四七日まで冥界への旅をしてきた亡き人が、六道へ落ちてしまった時に地蔵菩薩が救いの手を差し伸べ極楽浄土へ導いて下さいます。
弥勒菩薩は六七日を司り、未来の救済をいたします。
弥勒の力と如来の力を併せ持って、人々を救ってくれると信じられています。弥勒菩薩には釈迦の入滅した五六億七千万年後に、釈迦に代わってこの世を救う「未来仏」としての役割があります。
薬師如来は七七日を司ります。四九日で現世とのつながりが終わりますが、まだ次の世界までは完全に入れない中間の道中の苦しみを乗り越え、極楽浄土への道を歩むための薬を与えて下さいます。
観世音菩薩は百ヶ日を司り、除災滅罪をする施餓鬼本尊です。
観音様は三十三に身を変え慈悲の面で亡き人を救って下さり、阿弥陀如来まで導いて下さいます。
勢至菩薩は一周忌を司り、浄土への往生へと導き、滅罪をいたします。
無限の光明と知恵によって、人々の苦しみを取り除くために努められています。
阿弥陀如来は三回忌を司り、浄土への往生へと導かれる敬愛の仏です。
阿弥陀とは「無量寿」「無量光」という言葉のサンスクリット語を訳したもので、寿命は限りなく、阿弥陀さまの光はあらゆる国々や人々を照らして下さいます。四八の誓願の一つに「阿弥陀如来を信じる者は、みな極楽浄土へ往生させる」があります。
阿?如来は七回忌を司ります。阿?とは発菩提心、悟りをめざす心をおこすことを意味します。発心を託す強い力を持った阿?さまが着ている衣を握っているのはその決意の強さを表しています。
大日如来は十三回忌〜二七回忌を司り、一切成就と即身成仏へと導いて下さります。別名は、毘盧遮那如来とも言われ、天地あらゆるもの、宇宙生命そのものの仏さまで、太陽の様に輝いていることから、大日如来と名付けられています。これまで導いて下さった十一人の仏さまに(不動明王尊・釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩・地蔵菩薩・弥勒菩薩・薬師如来・観世音菩薩・勢至菩薩・阿弥陀如来・阿?如来) によって教え導かれ、どれだけ悟りが深まっているかを観て下さり、その上にさらに導いて下さいます。
虚空蔵菩薩は三十三回忌を司り、仏智悟入をする福徳の菩薩です。虚空(天界・法界)のような蔵(知恵・功徳)を持ち合わせ、広大ではかり知れないお力ですばらしい記憶力と知恵を表す剣を持ち、左手には福徳を表す蓮華の上に宝球をのせて持っています。 どんな人にも仏さまになれる仏性があることを虚空蔵菩薩が教えて導いて下さり、涅槃へ到着できるのです。


○十三佛諸陀羅尼
「不動明王尊」のうまくさんまんだ、ばざらだん、せんだん、まかろしゃだ、そわたや、うんたら、たかまん。
「釈迦如来」 のうまくさんまんだ、ぼだなん、ばく。
「文殊菩薩」 おん、あらはしゃのう。
「普賢菩薩」 おん、さんまや、さとばん。
「地蔵菩薩」 おん、かかか、びさんまえい、そわか。
「弥勒菩薩」 おん、ばいたれいや、そわか。
「薬師如来」 おん、ころころ、せんだり、まとうぎ、そわか。
「観世音菩薩」おん、あろりきゃ、そわか。
「勢至菩薩」 おん、さん、ざん、さく、そわか。
「阿弥陀如来」おん、あみりた、ていぜい、からうん。
「阿?如来」 おん、あきしゅびや、うん。
「大日如来」 おん、あびらうんけん、ばさらだどばん。
「虚空蔵菩薩」のうぼう、あきゃしゃ、ぎゃらばや、
おんあり、きゃまり、ぼり、そわか。


○摩訶般若波羅蜜多心経

観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不浄不増不減是故空中無色無受想行識無限耳鼻舌身意無色声香味触法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死尽無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩?依般若波羅蜜多故心無?礙無?礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸仏依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神呪是大明是無上呪是無等等呪能除一切苦真実虚故説般若波羅蜜多呪即説呪曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心経

現代語訳(インターネット ウィキソースより)
観音菩薩が、深遠なる「智慧の波羅蜜」を行じていた時、〔命ある者の構成要素たる〕五蘊は「空虚」であると明らかに見て、すべての苦しみと災い〔という河〕を渡り切った。
「シャーリプトラよ、色(肉体)は「空虚」と異ならない。「空虚」は色と異ならない。色は「空虚」である。「空虚」は色である。受(感覚を感じる働き)、想(概念)、行(意志)、識(認識する働き)もまた同様である。
シャーリプトラよ、すべての現象(一切法)は「空虚」〔ということ〕を特徴とするものであるから、生じることなく、滅することなく汚れることなく、汚れがなくなることなく増えることなく、減ることもない。ゆえに「空虚」〔ということ〕の中には、色は無く、受、想、行、識も無い。眼、耳、鼻、舌、身、意も無く、色、声、香、味、触、法も無い。眼で見た世界(眼界)も無く、意識で想われた世界(意識界)も無い。無明も無く、無明の滅尽も無い。老いと死"も無く、"老いと死"の滅尽も無い。「これが苦しみである」という真理(苦諦)も無い。「これが苦しみの集起である」という真理(集諦)も無い。「これが苦しみの滅である」という真理(滅諦)も無い。「これが苦しみの滅へ向かう道である」という真理(道諦)も無い。知ることも無く、得ることも無い。もともと得られるべきものは何も無いからである菩薩たちは、「智慧の波羅蜜」に依拠しているがゆえに心にこだわりが無い。こだわりが無いゆえに、恐れも無く転倒した認識によって世界を見ることから遠く離れている。
過去、現在、未来(三世)の仏たちも「智慧の波羅蜜」に依拠するがゆえに完全なる悟りを得るのだ。それゆえ、この「智慧の波羅蜜」こそは偉大なる呪文であり、偉大なる明智の呪文であり、超えるものなき呪文であり、並ぶものなき呪文であり、すべての苦しみを除く。〔なぜなら〕真実であり、偽りなきものだからである。
〔さて、〕「智慧の波羅蜜」という呪文を説こう、すなわち呪文に説いて言う:
"ガテー、ガテー、パーラガテー、パーラサンガテー、ボーディ、スヴァーハー"(往ける者よ、往ける者よ、彼岸に往ける者よ、彼岸に正しく往ける者よ、 菩提よ、ささげ物を受け取り給え)
〔以上が〕般若心経〔である〕。

○消 災 咒(裏経)
なむさまんだー、もとなん、おはらーちー、
ことしゃー、そのなん、とーじーとー、えん、
ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー、ぎゃーきーぎゃーきー、
うんぬん、しらふーしらふー、
はらしふらーはらしふらー、ちしゅさーちしゅさー、しゅしりー、そはじゃーそはじゃー、
せんちぎゃー、しりえい、そもーこー。

この経は、陀羅尼の形で、仏の威光によって悪を封じ、善が生じ、福を招くように説いたものです。
(意訳)インターネットより参照
三世十方の み仏を仰ぎまつれば うつせみの災難すべて消え失せてたぐいなき徳 身に浴びぬ。身・口・意の仏性もて あまねき光放ちてはすべての衆生導きて 仏の家に入り給う。
災難すべて消えうせて 吉祥すべて現れて 仏の誓いたのもしき。仏の教えありがたし。


○不 動 尊 和 讃(文中内の一部用語について注釈を後述)
帰命頂礼1)不動尊、この土に出現したまえり、
弘法大師その昔、この霊場2)におわしまし、
岩にお姿経文を、爪にて刻ませたまうなり、
神や佛の多き世に、分けてご利生3)新たなり、
この山林の岩清水、御法の加持の威徳にて、
お滝の水を頂かば、諸病災難逃がるべし、
常に火焔の中に座し、六趣4)の苦患を救わせり、
右手に利剱を持ちたまい、悪魔降伏したまえり、
左手に縛縄提げたまい、非道を戒めたまうなり、
我が面影を見るなれば、菩提心をも起こすなり、
我が名を念じ唱えなば、断悪取善と述べたまう、
我が経文を聞くなれば、智慧福徳の自在なり、
我が一身を見るなれば、その身そのまま佛なり、
四つの誓い5)を立てたまい、衆生接取6)したまえり、
慳貪邪見7)の老若や、貪欲愚痴の輩を、
怒り哀れみたまうゆえ、普明尊8)とも申すなり、
佛となるも我が心、地獄へ落つるも我が心、
慈悲善根の威徳にて、非道の罪科逃がるべし、
夢の浮世や仮の宿、貴賎上下の隔てなく、
無常の風が吹き来れば、花に嵐の如くにて、
今日は人の身明日ははや、わが身の上の儚さよ、
功徳も深きこの和讃、不断憶念するなれば、
今生後生の安楽は、疑いなしとの御誓願、
南無大聖不動尊、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀、
南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。


○不動尊御詠歌
一 ありがたや、四魔9)降伏の、利剱にて、
阿吽10)の弐字を、常に忘れな。
二 神となり、佛となりて、水の中、
火焔の中に、立つも世のため。
三 大聖の、祈る力の、げに岩屋、
石の中にも、極楽ぞあり。
南無大聖不動明王…。


○南無大師遍照尊御詠歌
一 ありがたや、高野の山の、岩陰に、
大師はいまだ、おわしますなる。
二 空海の、心の中に、咲く花は、
弥陀より他に、知る人はなし。
三 わが身をば、高野の山に、葬りて、
今は四国の、有明の月。
南無大師遍照金剛…。



1)帰命頂礼 仏を礼拝する時に唱える語。元の意味は仏の足下に自らの頭をひれ伏して礼拝すること。
2)霊場 今の爪切不動尊のある所あたりか。赤松与根さんの説では、空海は降神谷あたりで滝を見つけ修行したことになっている。
3)利生 仏が衆生を利益すること。
4)六趣 地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天の六つの迷界。
5)衆生接取 衆生摂取の意か。仏の光明で衆生を救い取ること。
6)四つの誓い 『無量寿経』にある「四誓偈」のこと。具体的には四十八の誓願をしその冒頭には次のように記されている。
     「我建超世願 必至無上道 斯願不満足 誓不成正覚」
7)慳貪邪見 けちで欲張りで邪な考え。
8)普明尊 大日如来の一形態。「普明」という言葉は真言宗、禅宗関係    によく表れる。
9)四魔 仏道修行の妨げとなる煩悩魔、五蘊魔、死魔、天魔のこと。
10)阿吽 密教では、阿は万物の根源、吽は一切が帰着する知徳。


○子安地蔵和讃
おん、かかか、びさんまえい、そわか、
おん、かかか、びさんまえい、そわか、
おん、かかか、びさんまえい、そわか、
地蔵菩薩の本願経、大慈大悲の数々を、申すもなかなか愚かなり。
天龍護念釈迦如来、敬い上げて誉めたまう。
この経文を拝すれば、弐十八社のその中に、女転じて男とす。帰命(又は奇妙)の深しみ有り難く、孕み女の身は殊に、祈念信心するなれば、況や安産ならしめん。
りんつ(神通の意か?)無辺の大菩薩、この霊場に灌頂し、子安地蔵と崇めつつ、安置まします尊像の、礼拝苦行
する人の、記録を示現に見たまえり、悪事災難消滅し、福寿円満おのずから、衣食充分そなわりて、
現世安穏未来まで、成仏さすとの御誓願、しかれば貴き卑しきも、童男童女に至るまで、念々疑う心なく、朝夕信仰いたすべし。
南無や子安の地蔵尊、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。

現代文
おん、かかか、びさんまえい、そわか、(地蔵菩薩さま)三回唱える
 地蔵菩薩さまが衆生救済なさるためのお経に示される大慈大悲の数々を申すあげることもなかなかに愚かなことでございます。
 八部衆の眷属として天と竜に脇でお護りされている釈迦如来が敬い上げお誉めなさります、この経文を有り難く受けると、この地にある二十八もある神社・やしろのその中の一つが、成仏できないでいる女を成仏できる男に生まれ変わらせてくれます。
 その教えに深く帰依することは尊いことで、(又は、その不可思議の奥深いことはなかなかに存在するものではなく)身ごもった女の人が殊に祈念し信心すると、言うまでもなく安産させてくれるだろう。
 神通力無辺の大菩薩がこの霊場に現れ法を伝えると、子安地蔵と崇められながら、そこに安置されております尊像は礼拝苦行する人の過去の姿をご覧になりました。そして悪事災難が消滅し、福寿円満に自然になり、衣食が充分そなわり、未来まで現世が安穏であるよう成仏させるとの御誓願なさいました。、
 そうだから貴い人も卑しい人も、童男童女に至るまで、念々疑う心なく、朝夕信仰いたさなければならない。
敬い奉る子安の地蔵尊さまよ、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀、南無阿弥陀仏、阿弥陀仏。

○大金剛輪陀羅尼
のうまく、しっちりや、じびきゃなん、さらば、
たたぎゃたなん、あん、びらじ、びらじ、まかしゃきゃら、ばじり、さたさた、さらてい、さらてい、たらい、たらい、びだまに、さんばじゃに、たらまち、しったぎりや、たらん、そわか。

(意訳)宮坂宥洪氏 訳
(読経、ご真言読誦などの最後に唱えます)
三世の如来の方々に 帰依したてまつるアーン
穢れを離れたお方よ 穢れを離れたお方よ
大の輪の金剛を持するお方よ
思慮深きお方よ 思慮深きお方よ
堅固なるお方よ 堅固なるお方よ
衆生を救済されるお方よ 衆生を救済されるお方よ
衆生の罪障を消除させるお方よ
完全に消滅させるお方よ
聞慧、思慧、修慧の三慧を達成したものの中でも
最も勝れたお方よ
トラーン スヴァーハー(我が願いの成就あれ) 

○願わくばこの功徳をもって、遍く一切に及ぼし、
我らと衆生と皆ともに、仏道を成ぜんことを、
じーほーさんしーしーふー、(十方世一切仏)
しーそんぶーさーもーこーさー、(諸尊菩薩摩訶薩)
もーこー、ほーじゃーほーろーみー、(摩訶般若波羅蜜)
光明遍照十方世界念仏、衆生摂取不捨、
南無阿弥陀仏…。    (十四または二十一遍)

今志す念仏は
霊幻和尚禅師
瑞鳳大和尚禅師
実堂感法義相居士
徹座良傑信士
      各々菩提のためなり
光明遍照十方世界念仏、衆生摂取不捨、
南無阿弥陀仏…。    (十四または二十一遍)
願以此功徳 平等施一切(がんにしくどくべょうどうせいいっさいの
同発菩提心 往生安楽国 ほつぼだいしんおうじょうあんらく)

    TOPへ 「御座」あれこれ・目次へ  御座爪切不動尊ページ一覧